ブプナーの議論にもう少しつきあってみたい気はするのだが、目下の作業目標にとって 迂回にもほどがあるのでやめておく。
ともかくも、「複雑性」論文に見て取れるように(id:contractio:20090521#p1)、ルーマンは、「正義」概念を、「システム合理性」というトピックの一つとして・「複雑性」というタイトルのもとで 扱っているわけである。そしてこのトピックは、ルーマンの議論においては、
- 一方では、「システムの反省的自己主題化」というトピックと、
- 他方では、「システム内で膨大に生じている諸選択の間の首尾一貫性」というトピックと
連関している。 (そして、そもそも、目下の主要論題である「法的論証」が、ここでいう「システム内で膨大に生じている諸選択」に相当するものだからこそ、このトピックに立ち入ってみる必要があるわけである。)
というわけなので、この点をもう少し追ってみるべきところ。
なにしろ、ルーマンがここで──「科学の実証性」と並べて──引き合いに出しているものを併せて考えてみれば、ブプナーが求めているものは、「必ず儲かる方法」とか「決してあとから修正されることのない決定的な判決を下す方法」とかに相当するものでないのかどうか*を疑ってみたくもなる。ルーマンが「科学における実証性」と呼んでいるのは、研究者たちが実際に採用している「誤りがあっても-それを訂正しながら-進んでいける-やり方」のことである。「それ以上の決定的な方法」を我々の誰も持っていないのだし、そうである以上ルーマンだって持っていない。そして、もしも そのことが非難されるのだとしたら、それは おかしなことである。
* まぁもちろん、ここまで戯画化すればこれはこれで──こんどはこちらが超越論に対する誤解にもとづく──お門違いな批判になってしまうが。
1971年、『批判理論と社会システム理論―ハーバーマス=ルーマン論争』。http://socio-logic.jp/lguides02.php#y1971
最終論文「システム理論の諸論拠──ユルゲン・ハーバーマスに対する私の回答」から。
[p.466-468]
1991年、『システム理論入門―ニクラス・ルーマン講義録〈1〉 (ニクラス・ルーマン講義録 1)』.
II「一般システム理論」9「合理性の理念」
[p.221-]
1968年、『目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について』。http://socio-logic.jp/lguides01.php#y1968
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こいつは「企業」水準に定位した本なので、目下の議論には あまり参考にならんかな。
まぁ結論部分のここは参考になるか。
結語「経験的研究と規範的研究の分離について」
[p.268]
ただし、これに対するルーマンの「回答=対応」のほうもパラレルといえるかどうかはよくわからない。
もう一つ。「複雑性」論文と同じ年、1975(→1986)の著作『権力』におけるシステム合理性についての短いコメント。http://socio-logic.jp/lguides02.php#y1975
[p.120-122]