2016年度は 4/20 から全3回で表記の講座を開催します。関心のあるかた、ご予定おきください。
ルーマン講座情報まとめ頁:http://socio-logic.jp/luhmann_acc/
|
目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について
|
講義概要
1968年に刊行された本書では、ハーバート・サイモンの組織モデルをなぞる形で組織合理性の検討が行われています。しかし、どうしてこうした作業を行わなければならなかったのか判明には書かれていないため、この点に戸惑った読者は少なくないかもしれません。
晩年の著作シリーズ『社会の理論』の方から振り返って考えてみると、
- 様々な社会領域を、それらのどれかを特別扱いすることなく検討していくためには、それを可能にするメタな視座・評価基準(〜「システム合理性」)が必要だった。
- 「社会は 組織モデルで捉えられるものではない」という点を明確にするためには、組織に関する検討が必要だった。
という二つの事情が見えてきます。そこで本講義では、
- 第1講義[三谷担当]において、周辺の時期における「合理性」に関するルーマンの議論を紹介したうえで
- 第2・3講義[酒井担当]において、本書の中核となる4章と5章の内容を確認する
という順序で、社会理論にとっての「合理性」概念の意義をルーマンがどのように捉えようとしていたのか考えてみたいと思います。
※講義では邦訳テクスト(馬場靖雄・上村隆広 訳、1990年、勁草書房)を使用します。お持ちでない方はお近くの公共図書館に購入リクエストを出してみてください。
三谷武司さんによる著作紹介
Q1. 本書で ルーマンが 取り組んだのはどのような課題ですか。
ひとことで言えば目的合理性の正当化です。目的合理性に正当化が必要になったという判断が、その背景的前提です。目的合理性とは、特定目的の達成に対する手段選択としての適切さが行為の合理性の基準であるという考え方ですが、これは当該目的を実現すべきであるという判断の正しさが自明であれば合理性の基準としても自明です。しかしもはやそれが自明ではなく、かつそれが正しいことを学問的真理として「発見」するのも不可能であるというのがルーマンの出発点(より遥か手前の前提)です。目的設定の恣意性を前提とした上で、なおも目的合理的な決定様式を支持すべき学問的論拠を提供すること、そしてそのための前提を解明することが本書の課題です。
この目的を達成するための手段として(!)ルーマンが採用したのが機能分析です。機能分析による正当化は、対象を「本質」ではなく「働き」の面で特徴づけ、一旦その「働き」に関する代替可能性に道を開いた上で、現状における代替可能性の調達困難さをもって対象の正当化とするタイプの議論です。したがって、機能分析で得られる正当化は相対的、限定的、経験的なものとならざるを得ず、演繹的真理に到達することはありません。いずれにせよ、目的設定の(そして目的合理的判断の)機能分析を行うことが本書の操作的課題にあたります。
対象を「働き」の面で捉えるとは、対象を一定の問題に対する(複数ありうる中の)一個の解決として捉えるということです。このためには、その問題が生じ、複数の可能な解決の中から一個が選択される「場」を指示する概念が必要となりますが、その種の概念としてルーマンが提出するのが「行為システム」(社会的システム)です。目的設定の機能分析のためには、目的設定や目的概念に依拠しない形でこの「場」を用意してやる必要がありますから、この行為システムは(したがって行為概念は)目的概念に依拠しない形で定式化される必要があります。また目的合理性を相対化するためのメタ的な合理性基準を整備する必要もあります。このような意味で、行為システム概念の刷新と、それに適合するシステム合理性概念の定式化が、本書の課題を達成するための予備課題としての位置づけを得ます。Q2. それぞれの課題に対して、ルーマンが与えた回答はどのようなものですか。
ルーマンはシステムの存立とそれを脅かす問題を複雑性概念(=可能性の過剰)によって捉えます。これにより、行為システムは膨大な行為可能性の中から秩序立った仕方で行為選択すなわち決定を産出し続けることで存立を維持するシステムと捉えられます。システム合理性も、このように捉えられたシステム存立への貢献を基準として抽象的に導入されます。
要するに、やみくもにどれか一つの可能性に飛びつくというのではなく、一定の秩序立った仕方で決定がなされうる程度に複雑性が縮減されることが重要なわけです。ルーマンは機能分析の対象としての目的設定を、目的合理的な行為選択基準=決定規則としての「目的プログラミング」として捉えた上で、過剰な複雑性の縮減を達成するという点で機能的に等価な「戦略」として、主観化、制度化、環境分化、システムの内的分化、構造の不定性の五つを特に挙げ、この全部を同時に可能にすることが目的プログラミングの機能だと言います。
原理的には機能の指摘によって機能的等価物との代替可能性が開かれますが、「五つを同時に」という条件がなかなか厳しく、機能的等価物はそうそう見つかりません。この代替困難さが目的プログラミングの機能的正当化を導くわけです。
他方、前述のとおり機能的正当化はあくまで相対的、限定的、経験的なものであって絶対ではなく、この条件を満たす機能的等価物も結局は見つかります。それが「条件プログラミング」です。両者の違いはシステム内での決定過程をアウトプット側で制御するのか(=目的)、インプット側で制御するのか(=条件)の違いです。機能分析の実力は、等価物同士の比較においてこそ真に発揮されるというのがルーマンの立場で、本書でも特に第四章末尾から第五章にかけて、この比較に基づいた目的プログラミングの特徴づけが詳細に展開されています。Q3. そうした課題に取り組むことにはどのような意義がありますか。
この時期(1960年代)のルーマンの仕事には、かつては栄華を誇ったがいまや下克上でやられ気味、といった感じの概念に対して、まあまあそれなりの助け舟を出してやるという態度が明瞭に見てとれます。『公式組織の機能とその派生的問題』(1964年)の公式組織や、『制度としての基本権』(1965年)の基本権がまさにそうでしたが、本書(1968年)ではそれと同じ態度を目的合理性に対してとったわけです。いわば、「○○は絶対じゃない!」という批判に対して、「でも相対的にはそれなりにいいよね!」という支持を与える議論です。等価機能主義として再定式化された機能分析がこの「助け舟」の役割を果たしうるという発想が通底しています。
また基礎理論的な面では、行為システム概念を目的概念よりも先行させることで、特にタルコット・パーソンズが構築した、目的手段図式を基礎とする行為理論の枠組みからの脱却が図られています。
しかし最も大事なのは、終章で簡単に論じられている経験的研究と(実践寄りの)規範的研究の関係の問題です。ルーマンは両者の分立を歴史的前提とした上で、両者の断絶を経験的研究の側から架橋しようとしています。特定問題に枠付けられる機能分析の成果は、経験科学の知見であると同時に、参照問題の恣意的、一面的であるがゆえに実践の側に引き渡し可能であるという点で、実践的にとって有意義な複雑性の増大となりうる――これが、ルーマンに機能分析を採用させた最大の理由であり、彼が提唱する「社会学的啓蒙」とはこのことに他なりません。