読書会があると聞いて。
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いただきもの:酒井大輔+宗前清貞編(2021)『日本政治研究事始め:大嶽秀夫オーラル・ヒストリー』
どうもありがとうございます。
本をひらいた1ページ目から大嶽御大による まったく序文に見えない「はじめに」が始まって圧倒されます。
日本政治研究事始め - 株式会社ナカニシヤ出版 |
メモ
文献
第1章「政治学との出会い」
第2章「東大紛争のなかで」
- 岡 義達 (1953)「権力の循環と象徴の選択」國家學會雑誌 66(11・12), 611-636, 1953-06
https://ci.nii.ac.jp/naid/40001395588 - セオドア・ミード・ニューカムほか(1950→1956)『社会心理学』ISBN:B000JAZT52 森 東吾・万成博訳、培風館
- ハワード・ジン(→1967)『反権力の世代』ISBN:B000JA8SU0 合同出版
- James Q. Wilson, 1960, Negro Politics: The Search for Leadership ISBN:0029354005 ISBN:0374986592
- ジェイムズ・Q.ウィルソン(→1983)『アメリカ政治組織論』ISBN:B000J79Y3I
- 今村 浩(1986)「ジェームズ・Q.ウィルソンの圧力団体論の展開とその特質:「政治組織論」を中心に1」 早稲田社会科学研究 (33), p85-105, 1986-10
https://ci.nii.ac.jp/naid/120000792901 - 今村 浩(1987)「ジェームズ・Q.ウィルソンの圧力団体論の展開とその特質:「政治組織論」を中心に2」 早稲田社会科学研究 (34), p87-110, 1987-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/120000792909
第3章「アメリカに渡って」
- 大嶽秀夫(1979/1996)『現代日本の政治権力経済権力:政治における企業・業界・財界』三一書房 ISBN:B000J8HH2C ISBN:4380962997
第7章「レヴァイアサン・グループ」
- 大嶽秀夫(1990)『政治過程』ISBN:4130321013 東京大学出版会
- 大嶽秀夫(1994)『戦後政治と政治学』ISBN:4130065025 東京大学出版会
第10章「政治学の将来」
- 鄒唐(タン・ツォウ)(1967)『アメリカの失敗』ISBN:B000JA8CNS 毎日新聞社
タイトルは「中国におけるアメリカの失敗」の意
お買いもの:川瀬和也(2021)『全体論と一元論:ヘーゲル哲学体系の核心』
合評会があると聞いて。
やります宣言から時間が経ってしまいましたが日程が確定しましたのでお知らせです!
— S. Kimoto (@shuheikimoto) 2021年6月17日
川瀬和也『全体論と一元論:ヘーゲル哲学体系の核心』合評会
評者:辻麻衣子(清泉女子大学)、清水雄也(一橋大学)、木本周平(東京都立大学)
10/30 (土) 14:00
哲学オンラインセミナー
よろしくお願いします
第II部 経験に開かれた体系
第III部 生命の一元論
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ジャック・デリダの脱構築の現在
人文学報 フランス文学, 517(15),1-2 (2021-03-23)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120007030495
特集=ジャン・リュック・ナンシーにおける芸術の問い
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生物学に対する哲学的抵抗の脱構築(カトリーヌ・マラブー)
- 3「生きものの問いに関するデリダの主要な遺産は、まず間違いなく、自己免疫概念の練り上げである。」
- 4 デリダ『信と知: たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉 (ポイエーシス叢書)』からの引用:「われわれが現に存在している空間では、無感染なもの、健康で(聖なる)無傷のもの、神聖なもの(heilig, holyなもの)の自己防衛は、自分自身の防衛から自分を守らなければならない。自分自身の警察から、自分自身の拒絶能力から、端的に自分自身から、すなわち自分自身の免疫から。これが無感染なものの自己免疫論理、ぞっとするが宿命的な論理である」
- 6 ジャック・デリダ『獣と主権者I (ジャック・デリダ講義録)』
デリダと哲学史の問題(エドワード・ベアリング)
1. 概要
1964年の講義「歴史と真理」について。
history of truth を「歴史という真理」って訳す必要ある???
- リチャード・J. エヴァンズ『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話』晃洋書房
http://www.koyoshobo.co.jp/book/b312770.html - なぜ脱構築は歴史学者の熱っぽい反応を引き出したのか
いい質問。 - 46 「脱構築が歴史理解の中心問題になんらかの仕方で取り組んでいなければ、脱構築がこれほど脅威と映ることはなかっただろう。」
ごもっともです。 - テーゼ:脱構築は歴史学に取り憑いている
- 48「ジェンキンズによれば、大文字のHで書かれる〈歴史〉に歴史学者たちは攻撃を集中させるが、それによって、小文字のhで書かれる歴史を批判から保護している」
これはありそう。 - 49 「私が提示するのは、1950年代から1960年代初頭にかけてのデリダ初期の哲学的探求はその最も広い輪郭線において 思想史家が直面している問題、つまり 観念は 時間を越えて どのように変化するのか という問題によって動機づけられているということである。」
これ、常識的に考えて「時間を追って」だと思うんだけど、そうではなくて、何か非常識な主張がされているのだろうか。
2. フランスにおける哲学史
3. 歴史と真理
「縮減」なる表現が頻用されているが、原語はなんなのだろうか。
- 62「デリダが講義で詳述したのも、まさにこうした歴史、つまり哲学的な伝統の内部で変動する歴史と真理の関係を輪郭づけている 真理という歴史 だった。」
やっぱりこれ、「真理の歴史」でよいのでは???
4. 歴史を書く I
- ドミニク・ラカプラ(1983→1993)『思想史再考―テクスト、コンテクスト、言語 (テオリア叢書)』平凡社
- 66 これ、典型的に駄目な「哲学的」な議論の組み方では:
- テクストは 包括的なコンテクストのもとで解釈すべきものなのか。
それとも、 - テクストが 非連続的かつ侵入的な仕方で地盤を変えることがありうるのか。
- テクストは 包括的なコンテクストのもとで解釈すべきものなのか。
知的に洗練されていない感じがしてしまいますね。
5. 歴史を書く II
- 70
- テクストの外にはなにも存在しない
- 歴史から逃れるものはなにもない
ありがとうございました。
- 72 これはちょっとなに言ってるかわからないですね。
「『グラマトロジーについて』と後年のテクストのなかでデリダは、確固とした全体を越えでる運動ではなく、シニフィアンのシステムにおける戯れを強調した。したがって、概念の動揺は、概念の変化によっては歴史的に表出されることはない。結局のところ、彼にとって形而上学の歴史は、エクリチュールの抑圧が一貫して存続することを示している。こうした観点からすれば、脱構築的な読解が明らかにしたような、ある哲学体系の内部で働く数々の闘争的な史脈は、必ずしも 歴史学的な文書で演じられる必要はない。」
「歴史学的文書」ってなんのこと? 歴史学研究者が使う資料のこと? それとも歴史学研究者が産出する文書(〜研究論文)のこと? さらに他のなにか??
「紀要にしか書けない!」って感じの主張ですね。
- 73 こちらも理解が難しい。
「したがって、脱構築が歴史家を魅了し恐れさせるのは、歴史の力から免れている(過去の)真理を求めて、歴史を書くために歴史学者が自分自身の法を破らざるをえない仕方を、脱構築が診断するからである。」 - 73 その次の一文は、まぁありうることかとは思いますが。
「歴史学者が脱構築的な歴史批判に敏感なのは、脱構築が不気味なほどに歴史学と近しいからなのだ。」
哲学のひと、哲学史の話で歴史についての議論を代用しようとするので、「哲学と歴史学」についての議論は他の人が担当するしかないですねぇ。
「哲学と歴史学」の関係について論じたいなら、「哲学の歴史」と「歴史学の歴史」を比較しないと駄目ですよね。
いただきもの:ダストン&ギャリソン(2007→2021)『客観性』
どうもありがとうございます。
「現代の古典」の待望の邦訳が、すぐれた訳者たちの手によって ついに刊行されました。
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第1章 眼の認識論
- 16 構想のまとめ
「本書は、これら三つの認識的徳、すなわち 本性への忠誠、客観性、訓練された判断 が、おおむね18世紀初頭から20世紀半ばまでの欧米において、いかにして科学アトラスのなかの図像制作に導入されていったかを論じるものである。」
いただきもの:サンスティーン『入門 行動科学と公共政策:ナッジから始まる自由論と幸福論』
私が買わねば誰が買うのかと思っていたらお贈りいただいてしまいました。どうもありがとうございます。
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訳者あとがきによると著者は「行動科学」という語を「認知心理学、社会心理学、行動経済学」の三分野を指すのに使っているとのことで、さしずめ「支那の百科事典*1」の趣がありますな。
「認知心理学、社会心理学、行動経済学の三分野を指すために、どうして他ならぬ行動科学なる語が使われるのか」という問いは、おおむね「なぜ認知経済学ではなく行動経済学なる語を使うのか」という問いに還元できるかな(?)
いただきもの:『中央公論』2021-8 (特集:教養と自己啓発の深い溝)
大澤絢子「修養ブームが生み出した潮流 近代日本の自分磨き」
1. 自己啓発のルーツ
- 修養とは:あるべき自己を目指して努力すること
2. 修養する松下幸之助
- PHP研究所京都本部内にある神社の名前は「根源の社」
- 39
- 39「一燈園はこのように宗教的な実践を行うが、宗教法人ではなく、西田[天香]は僧侶や新宗教の教祖などではない。一燈園で研修を受ける社員にも、信仰の獲得は求められない。」
〈宗教ではない〉キタ―――(゚∀゚)―――― !!
3. 近代日本初の自己啓発書
修養は cultivation の訳語
4. 新しい時代の自分探しと修養ブーム
- 40 『西国立志編』の説く修養が社会的成功と立身出世に結び付けられていくのは明示30年代になって以降
それより前の時期、明治20-30年代頃には、高学歴エリート青年たちがキリスト教に強い関心を抱いて聖書を読んだり、座禅に取りんだりなど、宗教に自己変革の手がかりを求めていた時代だった- 栗田英彦「明治30年代における「修養」概念と将来の宗教の構想」『宗教研究』89-3
https://doi.org/10.20716/rsjars.89.3_471
- 栗田英彦「明治30年代における「修養」概念と将来の宗教の構想」『宗教研究』89-3
- 明治20年代はまた、「修養」が、近代社会に相応しい人間になるための自己教育や訓練としても用いられ、次第に、形式的な修身教育に代わって、主体的に精神や人格の向上をはかる理念となっていった時期でもあった。
- 王成「近代日本における〈修養〉概念の成立」『日本研究』29
http://doi.org/10.15055/00000642
- 王成「近代日本における〈修養〉概念の成立」『日本研究』29
- 41「日露戦争後、明治38年頃から40年代にかけて、修養を説く書が雨後の筍のごとく現れた。修養ブームの到来である。」
- 煩悶青年|成功青年|堕落青年
5. 成功ブームと金銭的成功
6. 近代日本とニューソート人気
7. 『実業之日本』と新渡戸稲造
- 44 新渡戸稲造は明治42年から3年間、『実業之日本』の編集顧問を務め、その後も同誌に多くの文章を寄稿しました。
『修養』(1911)と『世渡りの道』(1912)は、どちらも『実業之日本』の連載をまとめたものです - 44「英才を育成する第一高等学校(一高)の校長、東京帝国大学の教員というエリート知識人・新渡戸の修養論は、大衆文化の中で発信されたものなので。位置項の門下生や同僚たち(エリート)は、彼が大衆雑誌に関わることを痛烈に批判したし、心配もした。それでも彼は、働く青年たち(ノンエリート)に向けて、実践的な処世訓や世渡りの術を説き続けた。十分に教育を受けられなかった青年たちの修養が、なりふり構わぬ金儲けや立身出世に向かうことへの危機感が、彼にはあった。」
大正教養主義へ。
8. 修養のゆくえ
藤谷千明「学びの場か、信者ビジネスか......注目集める仕組みのいま オンラインサロンに人は何を求めているのか」
- 1. 年の動きと流行
- 2. 学びの場? それとも?
- 3. 利用者側の視点
- 4 . 五つの分類から見えるもの:①ファンクラブ型、②新しい働き方型、③情報型、④コミュニティ型、⑤物語型
- 5. 運営者側の視点
- 6. 曲がり角に立つオンラインサロン
福間良明「青年学級、大学、そして司馬遼太郎ブーム 格差ゆえに教養が求められた時代」
1. 「教養」を求めた勤労青年
2. 大衆教養主義の時代
- 【話法】実利を超越した教養
3. 進学をめぐる鬱屈
- 昭和初期:旧制中学・高等女学校への進学率は1割
1950年代なかば:高校進学率は5割- 「なぜ自分は高校に進学できないのか」
→「受験や就職のための、目先の実利のための勉学ではなく、真実の教養・ほんとうの生き方を模索したい。」
- 「なぜ自分は高校に進学できないのか」
- 【表現】背伸びの文化
4. 「教養への憧慢」の衰退
- 高校進学率
1965年 7割
1970年 8割
1974年 9割
→高校進学は、家計ではなく学業成績の問題に変わった。
→「学歴に恵まれないにもかかわらず、教養を模索する」話法の消滅 - 大学進学率
終戦前後 23%
1970年 23.6%
1975年 4割弱 →マスプロ授業の一般化→大学への失望→大学紛争
5. 「昭和五十年代」の歴史ブーム
6. 「かつての若者」の中年文化
- 51 「だが、勤労青年のようなノンエリート層はもとより、大学においても教養祝儀が衰退したなか、なぜ、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」が見られたのか。そこには、主要読者が中年層であったことが関わっていた。『プレジデント』の読者層はあきらかに企業や工場の管理職層であったし、『歴史読本』など大衆歴史雑誌の読者も中高年層が中心だった。司馬遼太郎の歴史小説には若い読者も少なくはなかったが、サラリーマン層の支持は根強かった。そうした中年層は、かつて若い頃に最高潮期の(大衆)教養主義をくぐった世代でもあった。たしかに日常の仕事・生活に追われるなかで、一時的に「教養」から遠ざかることはあったかもしれないが、それでも教養主義的な関心が彼らのなかで消え失せたわけではなかった。生活がある程度安定し、再び「教養」に向き合おうとした先に見いだされたのが、「歴史」であった。」
- 51 「それにしても、なぜ「歴史」だったのか。そこには「参入障壁」の低さがあった。」
歴史でワンチャン
- 52 まとめ 「「昭和50年代」の中年文化は、「昭和20・30年代」の若者の大衆教養主義の名残でもあった。」
7. 人格からスキル、資格の重視へ
- 52 ここ面白いね。
「さらに、バブル経済期を経て2000年代に入ると、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」という価値観は後景化した。『プレジデント』の変化はそれを物語っている。」…
「終身雇用と年功序列が前提にされていた昭和後半期(とくに1960年代以降)では、一定の年齢に達したら「リーダー」…になることが見込まれただけに、それにふさわしい「人格」を身につける必要性は企業人たちの間で共有されていた。しかし、…雇用の不安定さだけではなく、大企業でさえ深刻な経営危機にさらされることが明らかになると、条件のよい企業への転職や起業に人びとの関心が向かうのは当然である。そこでは、長期的に会社にとどまることを前提にした「組織人としての振る舞い(人格)」よりも、転職可能性に直結する「スキル」「資格」が重視されやすい。」
ごもっともです。
8. 「格差と教養」という問い
- 53 「今日の日本の大学進学率は約50パーセントだが、大学に進まない残る50%の教育・教養の問題は、ともすれば見過ごされている。」
隠岐さや香「「大きな物語」が喪失した時代 新たな知の共同体を作れるか」
1. 学生に足りない「社会的な視野」
2. 教養が死んだ後の世代
3. 教養は大学内部でも共有できない
4. 専門分野の情報爆発
5. 教養は役に立つのか
6. 議論や交流から始める教養のあり方
読書猿「運命から自身を解放するために 独学のススメ」
1. 「自分の評価を健全に下げる」
2. 人はなぜ学ぶ
- 独学者とは:機会も条件も与えられないうちに、自ら学びの中に飛び込む人
- 70 「「人はなぜ学ぶのか」という問いに、私は「自由になるため」だと答えています。」
これは賛成。
- 70 「知らず知らず教え込まれて身につけてしまった知識や技術が本当に正しいのか、今自分がなんだかよくわからないままに苦しいのは、これまで身につけた知識やものの見方のせいではないか。自らの知識を疑い、その呪縛から逃れるために、人は自覚的に学ぶ必要があるのだと思います。」
わたくしが『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』で「思想の管理」と呼んだものですね。
3. モチベーションを支える集団
- 71 「人間には体温を維持する機能はあっても、意思を維持する機能はない。だからこそ、モチベーションをマネジメントする様々な技術が必要になります。」
これ面白いな。
私が「思想」をマネジメントの対象だと考えているのに対して読書猿さんは「モチベーション」にこの言葉を使う。他方、私の方は「哲学の講義」では、モチベーションの話は決してしないことに決めています。人類には、何かをするのにモチベーションが必要であるような魂のステージから早く卒業していただきたいですね。
ところで、行動科学が前提しているのは まったくもって「弱い人間」なのに、それをポップ心理学として取り込んだ自己啓発が「強すぎる人間」を前提かつ目標として置いてしまうのには捩れがあるね。これはどういう理屈なのかな。
4. 源流となった修養
5. 生まれ育ちから自身を解放する
- 74 「私は、教養を「運命として与えられた生まれ育ちから自身を解放する力」だと捉えています。」
これも、主張内容には基本的に賛成なんだけど、これ、直前に書いてあることとの関係が微妙ですね。①教養(パイデイアとしての)と②教養2(近代ドイツの)を区別したうえで、①を取って②を捨てているのでしょうが。しかし、日本語圏では、ドイツ語からの輸入語としてながいこと「教養」概念を使ってきてしまった以上、そこを拾ったり捨てたりするのは無理じゃないかなぁ。
由来を辿ればそうなのかもしれないけど、日本において人文知が実践知と結びつけて導入し・理解し・使うという伝統を我々日本語圏の人間は持っていないので、これも無理筋ではないだろうか。
なんでこんなに「人文知」に肩入れできるのか分からないなぁ。それって「現実には存在しないもの」へのコミットメントになってないですか?
「古い言葉を、その意味を変えながら使い続ける」という仕草自体が旧いヨーロッパの人文学的なものであるような気もするけど、私は、別のものを模索し・指示したいなら、そういうやり方自体をやめて、それに相応しい別の言葉を使って欲しいと思います。
7. 学ぶことは危険に身を晒すこと
「教養というのは役に立たないものだし、まさにそのようなものとして(日本では)求められてきた」という方が歴史的実情には近いし、まずは「どうしてそうだったのか」の話からしないと議論は難しい気がしますね。