ロジェ・シャルチエ『読書と読者:アンシャン・レジーム期フランスにおける』

読書会があると聞いて。
researchmap.jp


  • 序文
  • 第一章 規制と創出──祝祭
  • 第二章 差異の創出と文化モデルの普及──礼儀作法と礼儀作法書
  • 第三章 出版戦略と民衆の読書(1530-1660)
  • 第四章 規範と行動──往生の術 1450-1600
  • 第五章 書物から読むことへ──都市における印刷物 1660-1780 [1984 公刊]
    • 書物の私的保有
    • 読書の伝統的慣習
    • 家具と書庫
    • 書物の貸借
    • 公共図書館
    • 閲覧室
    • 貸本屋
    • 焚書から神聖化へ
    • プライベートな読書
    • 媒体としての発話
    • エリートの側──仲間と読む
    • 民衆の私生活における印刷物
    • 印刷物の普及と読書の差別化
  • 第六章 表象と慣習行動──18世紀における農民の読書
  • 付録 夜の集いでの読書──現実か、それとも神話か
  • 第七章 青本
  • 第八章 文学的人物像と社会的経験──「青本」における乞食文学
  • 結論

いただきもの:酒井大輔+宗前清貞編(2021)『日本政治研究事始め:大嶽秀夫オーラル・ヒストリー』

どうもありがとうございます。
本をひらいた1ページ目から大嶽御大による まったく序文に見えない「はじめに」が始まって圧倒されます。
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日本政治研究事始め - 株式会社ナカニシヤ出版

  • はじめに
  • 第一章 政治学との出会い
  • 第二章 東大紛争のなかで
  • 第三章 アメリカに渡って
  • 第四章 日本政治研究の開始
  • 第五章 仙台での生活
  • 第六章 ドイツ留学の決断
  • 第七章 レヴァイアサン・グループ
  • 第八章 京都での日々
  • 第九章 新しい研究へ
  • 第十章 政治学の将来
  • 資料
  • 大嶽秀夫著作目録
  • 大嶽秀夫略歴
  • あとがき

メモ

文献

第2章「東大紛争のなかで」
第3章「アメリカに渡って」
第7章「レヴァイアサン・グループ」
第10章「政治学の将来」

お買いもの:川瀬和也(2021)『全体論と一元論:ヘーゲル哲学体系の核心』

合評会があると聞いて。



第I部 ラディカルな全体論

第II部 経験に開かれた体系

  • 第5章 判断とその根拠
  • 第6章 推論と経験科学
  • 第7章 現象と法則

第III部 生命の一元論

  • 第8章 行為論としての目的論
  • 第9章 外的合目的性と二元論批判
  • 第10章 論理的理念としての生命

ジャック・デリダの脱構築の現在

人文学報 フランス文学, 517(15),1-2 (2021-03-23)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120007030495

特集=ジャック・デリダ脱構築の現在

特集=ジャン・リュック・ナンシーにおける芸術の問い

生物学に対する哲学的抵抗の脱構築カトリーヌ・マラブー

プログラムを読む──デリダによる生物学の脱構築(フランチェスコ・ヴィターレ

デリダ哲学史の問題(エドワード・ベアリング)

1. 概要

1964年の講義「歴史と真理」について。
history of truth を「歴史という真理」って訳す必要ある???

  • リチャード・J. エヴァンズ『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話晃洋書房
    http://www.koyoshobo.co.jp/book/b312770.html
  • なぜ脱構築歴史学者の熱っぽい反応を引き出したのか
    いい質問。
  • 46 「脱構築が歴史理解の中心問題になんらかの仕方で取り組んでいなければ、脱構築がこれほど脅威と映ることはなかっただろう。」
    ごもっともです。
  • テーゼ:脱構築歴史学に取り憑いている
  • 48「ジェンキンズによれば、大文字のHで書かれる〈歴史〉に歴史学者たちは攻撃を集中させるが、それによって、小文字のhで書かれる歴史を批判から保護している」
    これはありそう。
  • 49 「私が提示するのは、1950年代から1960年代初頭にかけてのデリダ初期の哲学的探求はその最も広い輪郭線において 思想史家が直面している問題、つまり 観念は 時間を越えて どのように変化するのか という問題によって動機づけられているということである。」

これ、常識的に考えて「時間を追って」だと思うんだけど、そうではなくて、何か非常識な主張がされているのだろうか。

2. フランスにおける哲学史

3. 歴史と真理

「縮減」なる表現が頻用されているが、原語はなんなのだろうか。

  • 62「デリダが講義で詳述したのも、まさにこうした歴史、つまり哲学的な伝統の内部で変動する歴史と真理の関係を輪郭づけている 真理という歴史 だった。」

やっぱりこれ、「真理の歴史」でよいのでは???

4. 歴史を書く I

知的に洗練されていない感じがしてしまいますね。

5. 歴史を書く II

  • 70
    • テクストの外にはなにも存在しない
    • 歴史から逃れるものはなにもない

ありがとうございました。

  • 72 これはちょっとなに言ってるかわからないですね。
    「『グラマトロジーについて』と後年のテクストのなかでデリダは、確固とした全体を越えでる運動ではなく、シニフィアンのシステムにおける戯れを強調した。したがって、概念の動揺は、概念の変化によっては歴史的に表出されることはない。結局のところ、彼にとって形而上学の歴史は、エクリチュールの抑圧が一貫して存続することを示している。こうした観点からすれば、脱構築的な読解が明らかにしたような、ある哲学体系の内部で働く数々の闘争的な史脈は、必ずしも 歴史学的な文書で演じられる必要はない。」

歴史学的文書」ってなんのこと? 歴史学研究者が使う資料のこと? それとも歴史学研究者が産出する文書(〜研究論文)のこと? さらに他のなにか??

    • しかもここに、こんなヤバい文が続くんですよ。
      「テクストを読み直し、語られておらず、暗示されているものを引きだし、歴史学がとらなかった道のりの可能性を明らかにしたのは歴史学者ではなく、哲学者や文学の研究者だった。こうした脱構築的な企ての変遷は、哲学の歴史的説明そのものを疑う。いまや思想史における語りは、いかなる哲学体系も完全には安定していないということを認識するというより、概念的な展開の固定した道のりで生じる動揺を強いる試みであることになるだろう。」

「紀要にしか書けない!」って感じの主張ですね。

「概念的な展開の固定した道のりで生じる動揺を強いる試み」も何言ってるのかわからないね。

  • 73 こちらも理解が難しい。
    「したがって、脱構築が歴史家を魅了し恐れさせるのは、歴史の力から免れている(過去の)真理を求めて、歴史を書くために歴史学者が自分自身の法を破らざるをえない仕方を、脱構築が診断するからである。」
  • 73 その次の一文は、まぁありうることかとは思いますが。
    歴史学者脱構築的な歴史批判に敏感なのは、脱構築が不気味なほどに歴史学と近しいからなのだ。」


哲学のひと、哲学史の話で歴史についての議論を代用しようとするので、「哲学と歴史学」についての議論は他の人が担当するしかないですねぇ。
「哲学と歴史学」の関係について論じたいなら、「哲学の歴史」と「歴史学の歴史」を比較しないと駄目ですよね。

いただきもの:ダストン&ギャリソン(2007→2021)『客観性』

どうもありがとうございます。
「現代の古典」の待望の邦訳が、すぐれた訳者たちの手によって ついに刊行されました。

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contractio.hateblo.jp


  • ペーパーバック版前書き
  • 初版前書き
  • プロローグ 客観性の衝撃
  • 第1章 眼の認識論
    • 盲目的視覚
    • 集合的経験主義
    • 客観性は新しい
    • 科学的自己の歴史
    • 認識的徳
    • 本書の議論
    • 普段着姿の客観性
  • 第2章 本性への忠誠
  • 第3章 機械的客観性
  • 第4章 科学的自己
  • 第5章 構造的客観性
  • 第6章 訓練された判断
  • 第7章 表象(リプレゼンテーション)から提示(プレゼンテーション)
  • 謝 辞
  • 訳者あとがき

第1章 眼の認識論

  • 16 構想のまとめ
    「本書は、これら三つの認識的徳、すなわち 本性への忠誠客観性訓練された判断 が、おおむね18世紀初頭から20世紀半ばまでの欧米において、いかにして科学アトラスのなかの図像制作に導入されていったかを論じるものである。」

いただきもの:サンスティーン『入門 行動科学と公共政策:ナッジから始まる自由論と幸福論』

私が買わねば誰が買うのかと思っていたらお贈りいただいてしまいました。どうもありがとうございます。


  • 第1章 イントロダクション
  • 第2章 行動科学革命
  • 第3章 自分で選べば幸せになれるのか?
  • 第4章 政 府
  • 第5章 誤 り
  • 第6章 判 断
  • 第7章 理論と実践
  • 第8章 厚 生
  • 第9章 自 由
  • 第10章 進むべき道
  • 訳者あとがき――キャス・サンスティーン「社会厚生主義」構想

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訳者あとがきによると著者は「行動科学」という語を「認知心理学社会心理学行動経済学」の三分野を指すのに使っているとのことで、さしずめ「支那の百科事典*1」の趣がありますな。
 「認知心理学社会心理学行動経済学の三分野を指すために、どうして他ならぬ行動科学なる語が使われるのか」という問いは、おおむね「なぜ認知経済学ではなく行動経済学なる語を使うのか」という問いに還元できるかな(?)

いただきもの:『中央公論』2021-8 (特集:教養と自己啓発の深い溝)

どうもありがとうございます。
中央公論専用封筒をご覧ください
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chuokoron.jp

特集:教養と自己啓発の深い溝

  • 積めば積むほど、自らに厳しくなる 知識の豊かさが本質ではない(村上陽一郎
  • 修養ブームが生み出した潮流 近代日本の自分磨き (大澤絢子)
  • 青年学級、大学、そして司馬遼太郎ブーム 格差ゆえに教養が求められた時代 (福間良明
  • 技術知・実務知、歴史的人物、自分らしさ...... 「ビジネスマンの教養」の系譜と現在 (牧野智和)
  • 大きな物語」が喪失した時代 新たな知の共同体を作れるか (隠岐さや香
  • 運命から自身を解放するために 独学のススメ (読書猿)
  • 学びの場か、信者ビジネスか......注目集める仕組みのいま オンラインサロンに人は何を求めているのか (藤谷千明)

特集 今こそケインズ!?

  • 『一般理論』から読み解く現代日本 市場・規制・コロナ禍 (山形浩生
  • 現代マクロ経済学の源流と現在地 その知見がもたらしたもの (矢野浩一)
  • 政策とアカデミズムへの影響 ケインズはいかに日本に受容されたか (野原慎司)

大澤絢子「修養ブームが生み出した潮流 近代日本の自分磨き」

1. 自己啓発のルーツ

  • 修養とは:あるべき自己を目指して努力すること

2. 修養する松下幸之助

  • PHP研究所京都本部内にある神社の名前は「根源の社」
  • 39
    • ダスキン創始者 鈴木清一は、西田天香に学んで「道と経済の合一」を願う「祈りの経営」を掲げた
    • 職場では毎朝般若心経が唱和される
    • 社員研修も一燈園でおこなわれ、近隣の家を尋ねてトイレ掃除を無償で行う
  • 39「一燈園はこのように宗教的な実践を行うが、宗教法人ではなく、西田[天香]は僧侶や新宗教の教祖などではない。一燈園で研修を受ける社員にも、信仰の獲得は求められない。」

〈宗教ではない〉キタ―――(゚∀゚)―――― !!

3. 近代日本初の自己啓発

  • 40 修養には二つの側面がある
    • ①自己の精神的向上を目指す姿勢
    • ②それを通して社会的成功を目指す姿勢
  • 近代日本を代表するベストセラー、スマイルズ中村正直訳)『西国立志編』(自助論)は①の例。

修養は cultivation の訳語

4. 新しい時代の自分探しと修養ブーム

  • 40 『西国立志編』の説く修養が社会的成功と立身出世に結び付けられていくのは明示30年代になって以降
    それより前の時期、明治20-30年代頃には、高学歴エリート青年たちがキリスト教に強い関心を抱いて聖書を読んだり、座禅に取りんだりなど、宗教に自己変革の手がかりを求めていた時代だった
  • 明治20年代はまた、「修養」が、近代社会に相応しい人間になるための自己教育や訓練としても用いられ、次第に、形式的な修身教育に代わって、主体的に精神や人格の向上をはかる理念となっていった時期でもあった。
  • 41「日露戦争後、明治38年頃から40年代にかけて、修養を説く書が雨後の筍のごとく現れた。修養ブームの到来である。」

5. 成功ブームと金銭的成功

  • というわけで、大正期になると『西国立志編』の読まれ方も変わり、新時代の成功書として読まれるようになりました。
  • 成功雑誌社『成功』(村上俊蔵)
    • 『成功』は、『実業之日本』と並んで立身出世を目指す青年たちの愛読書になりました。
    • 夏目漱石『門』の宗介が歯科医院の待合室で手にとったのもこの雑誌です。

6. 近代日本とニューソート人気

  • 村上俊蔵の雑誌『成功』は、オリソン・スウェット・マーデンが創刊した自己啓発雑誌『SUCCESS』をモデルにしていた。明治から大正期の日本で、マーデンの人気は絶大だった。
    • 43「明治日本で最も広く読まれた西洋書は、彼[マーデン]の邦訳書だともされ*、…彼の著作が立て続けに翻訳された。マーデンの本の出版を数多く手掛けたのは、村上の成功雑誌社と実業之日本社だ。」
  • 44「同じくニューソート系のラルフ・ウォルドー・トラインの翻訳書も明治末から昭和初期にかけて多数刊行されており、戦後の自己啓発に連なる成功とポジティブ志向は、戦前の日本で既に大きな盛り上がりを見せていたのである。マーデンやトラインが説いた成功とポジティブ志向は中村や生長の家谷口雅春に大きな影響を与えており、現代の自己啓発の源流もそこに見いだせる。」

7. 『実業之日本』と新渡戸稲造

  • 44 新渡戸稲造明治42年から3年間、『実業之日本』の編集顧問を務め、その後も同誌に多くの文章を寄稿しました。
    『修養』(1911)と『世渡りの道』(1912)は、どちらも『実業之日本』の連載をまとめたものです
  • 44「英才を育成する第一高等学校(一高)の校長、東京帝国大学の教員というエリート知識人・新渡戸の修養論は、大衆文化の中で発信されたものなので。位置項の門下生や同僚たち(エリート)は、彼が大衆雑誌に関わることを痛烈に批判したし、心配もした。それでも彼は、働く青年たち(ノンエリート)に向けて、実践的な処世訓や世渡りの術を説き続けた。十分に教育を受けられなかった青年たちの修養が、なりふり構わぬ金儲けや立身出世に向かうことへの危機感が、彼にはあった。」

大正教養主義へ。

8. 修養のゆくえ


藤谷千明「学びの場か、信者ビジネスか......注目集める仕組みのいま オンラインサロンに人は何を求めているのか」

  • 1.  年の動きと流行
  • 2. 学びの場? それとも?
  • 3. 利用者側の視点
  • 4 . 五つの分類から見えるもの:①ファンクラブ型、②新しい働き方型、③情報型、④コミュニティ型、⑤物語型
  • 5. 運営者側の視点
  • 6. 曲がり角に立つオンラインサロン



福間良明「青年学級、大学、そして司馬遼太郎ブーム 格差ゆえに教養が求められた時代」

1. 「教養」を求めた勤労青年

2. 大衆教養主義の時代

  • 【話法】実利を超越した教養

3. 進学をめぐる鬱屈

  • 昭和初期:旧制中学・高等女学校への進学率は1割
    1950年代なかば:高校進学率は5割
    • 「なぜ自分は高校に進学できないのか」
      →「受験や就職のための、目先の実利のための勉学ではなく、真実の教養・ほんとうの生き方を模索したい。」
  • 【表現】背伸びの文化

4. 「教養への憧慢」の衰退

  • 高校進学率
    1965年 7割
    1970年 8割
    1974年 9割
    →高校進学は、家計ではなく学業成績の問題に変わった。
    →「学歴に恵まれないにもかかわらず、教養を模索する」話法の消滅
  • 大学進学率
    終戦前後 23%
    1970年  23.6%
    1975年  4割弱 →マスプロ授業の一般化→大学への失望→大学紛争

5. 「昭和五十年代」の歴史ブーム

  • 昭和50年代。教養主義の衰退の傍ら、大衆歴史ブームがやってきた。
  • 51 司馬遼太郎の小説は、「サラリーマン層をはじめとるす多くの読者を獲得した。それは目先の仕事の成果には直結しないが、そこでの歴史像・人物像を通して、組織のあり方や自己の振る舞いを考えさせるものであった。」

6. 「かつての若者」の中年文化

  • 51 「だが、勤労青年のようなノンエリート層はもとより、大学においても教養祝儀が衰退したなか、なぜ、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」が見られたのか。そこには、主要読者が中年層であったことが関わっていた。『プレジデント』の読者層はあきらかに企業や工場の管理職層であったし、『歴史読本』など大衆歴史雑誌の読者も中高年層が中心だった。司馬遼太郎歴史小説には若い読者も少なくはなかったが、サラリーマン層の支持は根強かった。そうした中年層は、かつて若い頃に最高潮期の(大衆)教養主義をくぐった世代でもあった。たしかに日常の仕事・生活に追われるなかで、一時的に「教養」から遠ざかることはあったかもしれないが、それでも教養主義的な関心が彼らのなかで消え失せたわけではなかった。生活がある程度安定し、再び「教養」に向き合おうとした先に見いだされたのが、「歴史」であった。」
  • 51 「それにしても、なぜ「歴史」だったのか。そこには「参入障壁」の低さがあった。」

歴史でワンチャン

  • 52 まとめ 「「昭和50年代」の中年文化は、「昭和20・30年代」の若者の大衆教養主義の名残でもあった。」

7. 人格からスキル、資格の重視へ

  • 52 ここ面白いね。
    「さらに、バブル経済期を経て2000年代に入ると、「歴史(という教養)を通じた人格陶冶」という価値観は後景化した。『プレジデント』の変化はそれを物語っている。」…
    「終身雇用と年功序列が前提にされていた昭和後半期(とくに1960年代以降)では、一定の年齢に達したら「リーダー」…になることが見込まれただけに、それにふさわしい「人格」を身につける必要性は企業人たちの間で共有されていた。しかし、…雇用の不安定さだけではなく、大企業でさえ深刻な経営危機にさらされることが明らかになると、条件のよい企業への転職や起業に人びとの関心が向かうのは当然である。そこでは、長期的に会社にとどまることを前提にした「組織人としての振る舞い(人格)」よりも、転職可能性に直結する「スキル」「資格」が重視されやすい。」

ごもっともです。

8. 「格差と教養」という問い

  • 53 「今日の日本の大学進学率は約50パーセントだが、大学に進まない残る50%の教育・教養の問題は、ともすれば見過ごされている。」



牧野智和「「技術知・実務知、歴史的人物、自分らしさ...... 「ビジネスマンの教養」の系譜と現在」」

1. 「中央公論経営問題』の変遷──知の振れ幅の縮小

  • 雑誌『中央公論 経営問題』は、1962年2月に刊行された『中央公論』の臨時増刊号『中央公論 経営問題特集号』が好評を得たため、それを受けて同年10月に季刊誌として刊行されることになったもの。

2. 後続 「Will」へ──歴史的人物・財テク論から自己啓発

3. 「自分らしさ」と女性向け自己啓発

4. 男性向け自己啓発書の二層構造



隠岐さや香「「大きな物語」が喪失した時代 新たな知の共同体を作れるか」

1. 学生に足りない「社会的な視野」
2. 教養が死んだ後の世代
3. 教養は大学内部でも共有できない
4. 専門分野の情報爆発
5. 教養は役に立つのか
6. 議論や交流から始める教養のあり方



読書猿「運命から自身を解放するために 独学のススメ」

1. 「自分の評価を健全に下げる」

2. 人はなぜ学ぶ

  • 独学者とは:機会も条件も与えられないうちに、自ら学びの中に飛び込む人
  • 70 「「人はなぜ学ぶのか」という問いに、私は「自由になるため」だと答えています。」

これは賛成。

  • 70 「知らず知らず教え込まれて身につけてしまった知識や技術が本当に正しいのか、今自分がなんだかよくわからないままに苦しいのは、これまで身につけた知識やものの見方のせいではないか。自らの知識を疑い、その呪縛から逃れるために、人は自覚的に学ぶ必要があるのだと思います。」

わたくしが『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』で「思想の管理」と呼んだものですね。

3. モチベーションを支える集団

  • 71 「人間には体温を維持する機能はあっても、意思を維持する機能はない。だからこそ、モチベーションをマネジメントする様々な技術が必要になります。」

これ面白いな。
私が「思想」をマネジメントの対象だと考えているのに対して読書猿さんは「モチベーション」にこの言葉を使う。他方、私の方は「哲学の講義」では、モチベーションの話は決してしないことに決めています。人類には、何かをするのにモチベーションが必要であるような魂のステージから早く卒業していただきたいですね。
ところで、行動科学が前提しているのは まったくもって「弱い人間」なのに、それをポップ心理学として取り込んだ自己啓発が「強すぎる人間」を前提かつ目標として置いてしまうのには捩れがあるね。これはどういう理屈なのかな。

4. 源流となった修養

5. 生まれ育ちから自身を解放する

  • 74 「私は、教養を「運命として与えられた生まれ育ちから自身を解放する力」だと捉えています。」

これも、主張内容には基本的に賛成なんだけど、これ、直前に書いてあることとの関係が微妙ですね。①教養(パイデイアとしての)と②教養2(近代ドイツの)を区別したうえで、①を取って②を捨てているのでしょうが。しかし、日本語圏では、ドイツ語からの輸入語としてながいこと「教養」概念を使ってきてしまった以上、そこを拾ったり捨てたりするのは無理じゃないかなぁ。

  • 73 「「役に立たない」ことを誇る教養主義が無視し捨て去るものとは、古代ギリシア以来、教養の概念を養い培ってきた人文知の伝統が、実践知に由来するものであるということです。」

由来を辿ればそうなのかもしれないけど、日本において人文知が実践知と結びつけて導入し・理解し・使うという伝統を我々日本語圏の人間は持っていないので、これも無理筋ではないだろうか。
なんでこんなに「人文知」に肩入れできるのか分からないなぁ。それって「現実には存在しないもの」へのコミットメントになってないですか?
「古い言葉を、その意味を変えながら使い続ける」という仕草自体が旧いヨーロッパの人文学的なものであるような気もするけど、私は、別のものを模索し・指示したいなら、そういうやり方自体をやめて、それに相応しい別の言葉を使って欲しいと思います。

7. 学ぶことは危険に身を晒すこと

「教養というのは役に立たないものだし、まさにそのようなものとして(日本では)求められてきた」という方が歴史的実情には近いし、まずは「どうしてそうだったのか」の話からしないと議論は難しい気がしますね。