フーコー「啓蒙とは何か」

シンポ準備、最後のフーコー

  • [1. まえふり]
  • [2. カントのテクストの検討]
    • (1)
    • (2)
    • (3)
  • [3. ボードレールにおける「現代性」]
    • (1)
    • (2)
    • (3)
    • (4)
  • [4. 〈哲学的エートス〉の性格づけ]
    • A 〈哲学的エートス〉のネガティヴな性格づけ
      • 1
      • 2
    • B 〈哲学的エートス〉のポジティヴな性格づけ
      • 1
      • 2
      • 3
        • (a) 〈歴史的-実践的批判〉に賭けられているもの
        • (b) 均一性
        • (c) 体系性
        • (d) 一般性
  • [5.] 「まとめとして、カントに戻ることにする。」
「現在」についての捉え方、三つの典型例:
  • ある一つの時代に属するものとしての現在。(例 プラトン『政治家』)
  • これから起こることを予告する徴が読み取られるべきものとしての現在。(例 アウグスティヌス
  • 新しい世界の夜明けへと向かう推移点としての現在。(例 ヴィーコ『歴史哲学の原理』)
啓蒙と批判
  • 啓蒙: 人類がいかなる権威にも服従することなく、自分自身の理性を使用しようとする時(モメント)
  • 批判: ひとが認識しうるもの、為すべきこと、希望しうることを決定するために、理性の使用が正当でありうる諸条件を定義しようとすること
    • 理性の正統的な使用がその原理において明確に定義されたとき、理性の自律的使用は確保される。
  • 「啓蒙とは何か」という論文は、批判的省察と歴史的についての考察との連結部に位置する
中間のまとめ
  • 一方において私は、現在に対する関わり方、歴史的な存在の仕方、自己自身の自律的な主体としての構成、という三つのことがらを同時に問題化するようなタイプの〈哲学的な問い〉が、〈啓蒙〉に根差すものであることを強調しておきたかった。
  • 他方において私は、私たちを啓蒙へ結びつけている絆が、教義の諸要素への忠誠というようなものではなく、むしろ一つの態度の絶えざる再活性化なのだ、ということもまた強調しておきたかった。この態度とはすなわち、一つの〈哲学的エートス〉であって、それは私たちの歴史的な存在の絶えざる批判として特徴づけることができるかもしれない。

(訳 16)