涜書:長岡「企業組織の作動メカニズム」

夕食。再々訪。


メモ。
■どちらの論文も、学史を概観する内容だけど、

  • 【1994】のほうは、「古典的組織論が 企業体の変貌に応じて崩壊していく」というストーリーによるものであり、
  • 【1998】のほうは、20世紀組織論のスタンダードとしての「オープンシステム論」と「意思決定論」の紹介と批判(の紹介)によるもの。

【1994】古典的組織論の崩壊について

■経営組織研究の現状について:

  • 「古典的組織論」の内実は、煎じ詰めれば 目的-支配 図式((c) ルーマンによるものであった。
    • 目的手段図式と命令モデルを凌ぐ組織作動メカニズム論は現れていないし、おそらく今後も現れることはないであろう」。理由は、それが批判される理由に同じ。つまり「理論の簡潔で明快な統一性は、多くの変数と過程を捨象し単純化することによって得られた代償」だったから。[p.174-175]
    • 「そのうえ、テイラーの「科学的管理」以来、管理研究を主導してきた基本理念、すなわち「唯一最善の方法」があるはずだとする信念は、組織のコンティンジェンシー理論* によって、最終的に実証的にも覆された」。[p.174]
      * どのような組織形態が望ましいかは、その組織が置かれている諸条件に依存しているとし、両者の適合関係の究明をめざす理論。
  • これらこそが組織研究が細分化を余儀なくされた理由でもある。つまり、

いまや組織の作動メカニズムに関する専門的な論文を書こうとするものは、

  • まずは対象とする組織がおかれている状況と条件を特定し、
  • そこに作用しうる変数を明示的に分類しなければならない。
  • 次いで、取り扱う問題と関連変数を明確に限定し、定義しなければならない。
  • ようやくそのうえで、変数間の関数関係、(統計的な)因果関係、相互規定関係などを論じることができるのである。

これが専門論文の標準タイプの実情である。[‥ そして/しかし、]個別的な専門的研究は完全な分業と協業の関係にあって、それらの間には干渉関係も潜在的なコンフリクト関係も存在せず、したがってそれらを合計しさえすれば、そこにおのずとひとつの統一像が立ち現れてくる、といった保障は無いのである。[p.175]

「そこでルーマンですよ」(大意) ‥‥と、長岡先生はおっしゃるのですが。それは....どどどどどどどどうかなぁ....


■「古典的組織論」→「企業体の変貌」→「経営組織論の変貌」

  • 【古典的組織論】のテーゼ:
    1. 〈営利経済原則〉 企業者、したがって企業の目的は、利潤の追求である。
    2. 〈組織道具説〉 組織はこの目的を実現するための道具である。
    3. 〈合理的組織の仮定〉 企業者はこの目的実現のために、組織の合理的な形成と利用をめざす。
    4. 〈支配者による命令モデル〉 企業目的と組織の構成要素である従業員の行為とを結びつけるのを最終的に可能にしているのは、雇用する者が雇用される者に対して有する命令指示権である。
  • 【企業体の変貌】[p.173-174]
    • 古典的組織論は、企業規模が小さかった時代に生まれたので、
      • 企業者の目的と企業の目的を同一視したうえで、
      • 組織の作動の仕方を〈命令-服従〉モデルに従って考えることができた。
        ということはつまり、組織内の調整過程、非-貨幣的手段による動機付けや管理様式などなどについて、それほど真剣に取り組む必要が無かった。ということ。
    • でも企業体のほうが変わっちゃったからねー
      企業規模の拡大、株式会社の普及と株主の分散、所有と経営の分離、労働者の力の伸長、継続事業体としての企業の社会的な制度化、経営共同体論や企業自主体論の出現、などなど。
    • そこで経営学「二つにして一つ」の課題が課されることになったよ:
      • 「企業家」の概念に隠れていた過程──目標設定、調整、コミュニケーションなど、管理組織のなかの重要な諸問題──の解明。
      • 「企業」と「組織」との関係は?(「企業が組織を有する」のか、「企業も組織である」のか。)→〈公式組織/非公式組織〉問題。